vol.6人生の目的や仕事の大義を、自分の世界観で表現する
- Date:
- 2022.08.26
- Name:
- 中村 唯さん |
絵を描くデザイナー
Creator's profile
幼少期は三重県、香川県、愛媛県、長野県など各地を転々としたのち、小学校一年生から大阪在住になりました。
長野県では、山を2つ越えて学校に行き、4人で森に秘密基地を作って土の階段を作ったり蟻地獄に蟻を入れてました。大きな蛇にも遭遇。
京都精華大学映像コース卒業。映像編集者ののち、デザイナーに転身。広告代理店勤務を経てフリーに転身。
主な仕事は、販売促進用イラスト、絵本、似顔絵、LP デザイン、バナー、動画制作など。
「話せば長くなる」なぜそれをしているのか、あなたが大切にしていることを絵とストーリーを創って一瞬で伝えます。バレエなど、カラダ動かすのが好きです。
関西の女性クリエイターの方に制作やデザインについてお話を伺うインタビュー企画。
第6回は絵のデザイナーをされている中村唯さんにお話を伺いました。
初めまして。本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まずは自己紹介をお願いします。
中村唯と申します。
小学1年生から大阪に住んでいますが、大阪弁は喋れません。
今の仕事は絵を描くデザイナーをしています。
7歳までは三重県や香川県、愛媛県、長野県と色々なところに住んでいました。
自然豊かな長野県での生活が特に印象に残っていて、秘密基地を作ったり、蛇に遭遇したりとても冒険的な毎日を送っていました。
活発な子どもだったんですね。
そうですね。
結構それが自分らしくて楽しかったんですけど、大阪に来てから周りに合わせなくちゃって思うようになってしまって…。
長野ではのびのびとした生活が大阪に来て変わったんですね。
中村さんにとって大阪の新生活は窮屈だったんですか?
みんなで一緒に登下校することに疑問を持ったり、すこし変わっていたかもしれないですね。
でも仲間外れになってはだめだって思って、周りに合わせる子どもでした。
絵を描きはじめたきっかけが小学5年生の時だったんですけど、なんとなくキャラクターを描いたら上手に描けたんですね。
その絵を当時の担任の先生が褒めてくれて、あれ出せば、これだ出せばって、色々な絵のコンクールに作品を出すことを勧めてくださって、出品したら表彰状をもらえたんです。
そうなんですね。
どのような絵を描かれていたんですか?
アクリル絵の具を使った絵で、例えば木があってそこで動物や子どもたちがブランコに乗ったりして遊んでいる風景を描いたり、家が農業をしていたので、おじいちゃんおばあちゃんが農作業をしている風景を描いたら、農業系の冊子の後ろに掲載いただけたりしました。
そこで一気にモチベーションが上がって、その時から絵を描くようになって高校でも絵本を描いたり、コンクールに絵を出したりしていました。
絵を描くのが好きだったんですね。では子ども時代から今までずっと絵を描かれてきたんですか?
いえ、大学では絵以外のことをやりたくて映像に行ったので、そこから絵は全く描かなくなってしまいました。
在学中は実写の映像を作ったりして、卒業後は映像編集の仕事を2年間ほどしていましたね。
映像編集のお仕事はどのようなことをされていたんですか?
ダンス発表会のDVD制作で、オープニングやエンドロール、本番映像を作るお仕事をしていました。
2時間の映像を曲に合わせて3分にしたり、2カメと3カメをチェックして、ここは寄りで行こうとか、ここは引きで行こうとか、格好良く素敵に見えるように編集する仕事でした。
その会社を辞めてからは、人と話すのが好きなので接客のアルバイトをしながら、業務委託というかたちで映像編集は時々していました。
映像編集の際に動画に入れるテロップ作成で、photoshopを使ったりデザイン的な能力が必要だったのと、自分の作ったテロップがカッコよくないなと思ったこともあり、そこから順番が逆になるんですけど、ほぼ独学でデザインを学んだんです。
そうなんですね。
未経験だったので事務系の仕事でデザインの編集も少しできるところに就職して、そこで実際にデザインの仕事を始めました。
その後、コロナでお仕事が変わったり無くなったりして、その時に自分の人生を掘り下げたんです。
人生を掘り下げたんですか?
はい。
その頃私は自分に足りないものを埋めようとして、デザインに関する新しい技術を学んだり、色々もがいていたんですね。
でもすでに自分は結構いいものを持っているんじゃないのかと気づいて、今の私ができるものづくりや、絵を描くということを職にしたいなって思ったんです。
自分を掘り下げることで、やりたいことが見えてきたんですね。
そうですね。
高校生の時に絵本を描いたことを忘れていたのですが、掘り下げる過程の中でそれを思い出して、久しぶりに読み返してみたんです。
昔の高校生の時の自分の描いたものなんて、内容も支離滅裂で話が通ってないんじゃないかと思っていたら、
「えーめっちゃ、ちゃんと出来てる!」っていう(笑)
これなんですけど…。
中村さんの高校時代の作品「テレビください」
持ってきてくださったんですね!
ありがとうございます。
その絵本を書いた当時、テレビがちょうど薄型テレビになる時代で、「テレビください」というタイトルにしたんですけど、日々目まぐるしく移り変わる世界の中で生きている兄弟の話を描きました。
その絵本の文末に当時の自分の思い、みたいなものを書いていたんですけど、
“日々早く変わり進むのは
考えものだと思う。
だから私は少しずつ変わり進みたい。
それでも変わらないといけない時がある。
だから私は毎日の中に
一つでも変わらないものを見ながら
毎日を生きていきたい。“
こんなことを高校生の時に考えていたんですね。
高校生の時にこんなにしっかりと考えられていたんですね。
絵本の挿絵も、とても上手ですね。
ありがとうございます。
絵は小さい頃から時々描いてたんですけど絵心が全くなくて、友達が描いている絵を見て上手いなーと思っていたぐらいなんです。
でも小学5年生の時に、好きだった漫画の登場人物をなんとなく描いたら描けてしまった!と思って(笑)
そこから絵を沢山描くようになってある程度すると、だんだんコツもわかって色々描けるようになりました。
そうなんですね!
絵の仕事をされている方って、学校とかで基礎を学んでいるんだろうなって思っていたんですが、中村さんもどこかで絵の勉強をされたんですか?
基礎は高校の時に学んだんですけど、その当時、自分は絵ができるってピノキオみたいに鼻が高くて(笑)
真面目に勉強していませんでした。
絵の学校も美大受験専門のところに行かずに、おじいちゃんおばあちゃんが趣味でやっているようなところに行っていたんですよ。
その時の先生が絵は誰でも描けるっていう考えをお持ちの方だったのと、美術系の専門よりそちらの方がいろいろな人と関わることが出来て、変に固まらなくていいなと思ったんです。
あとはおじいちゃんおばあちゃんにも好かれるし(笑)
10年くらい迷走していた
話を聞いていると流されずに自分で考えて行動されていますよね。
しっかりされているなって思います。
いえ、実はこの後10年くらい流されている時期があるんです。
そうなんですか。
はい。
大学生になって絵を描かなくなってからは、ずっと自信もなくなって、映像をやっていた時なんかはすごく病んでいました。
病んでいたんですか。
あまり楽しくなかったんですか?
なぜか自分で蓋をしてしまって、自分一人で悲しんでいましたね。
思い描いている自分と、今の自分が違うっていう部分もあったかな。
映像編集の会社に就職してからは毎日同じことの繰り返しで、締め切った部屋にずっと朝から映像を編集して終電で帰るみたいな。
映像編集にやりがいを感じられなかったんですか?
そうですね。絵を描いている時はやりきった!って思えるんですけど、映像の仕事はやりきったと思えることがほとんどなくて。
映像でやりきったって思えたのは、卒業制作のときぐらいだったんです。
大学の卒業制作
そうなんですか。卒業制作は何を作られたんですか?
その当時、周りの時間と私の時間が切り離されている感じにあせりも感じていたこともあって、youtubeの再生バーを映像の中に入れて、私のようにゆっくり進む人もいれば、早く進む人もいるっていうことを表現しました。
卒業生はみんな忙しいから出てくれというのも申し訳なくて、自分一人で出て編集して。
面白いアイデアですね。
映像をしていたからこそ出てきたアイデアかなと思いますね。
もともと映像に進んだのも、NHKなどの教育番組で色々な人が自分の作った映像作品を流していたのを見て、それが面白くて映像コースに入りました。
私が専攻したのがアート系で、商業系の映像ではないのでアイデア勝負というか。
コンセプト重視で、コンセプトに時間をかけるみたいな感じだったので、見たことがない映像を作りたいっていう、それに奔走していました。
いつのまにか絵が描けなくなった
映像をやめて絵に戻ろうと思われなかったんですか?
映像に行ってから絵を描かなくなったというよりは、描けなくなってしまったんです。
なぜ描けなくなったんですか?
その時は自分でも、なぜ描けなくなったのかわからなかったんです。
最近わかったのが体と心と頭って繋がっているんですけど、描けない時は頭で考えちゃうというか。
頭ではやれやれやれって言うんですけど、体がやりたくないってなっている時が、絵を描けない時かなと思います。
その後、映像編集の仕事から離れて役者を選びました。
役者ですか。
はい。中学と高校で演劇をやっていたので、この仕事だ!と自分で思ってオーディションを受けまして。
そこからもう周りの人がいい人ばかりで、基礎の基礎を教えてくださって、体作りからですね。
体作りってジムとかで鍛える感じですか?
いえ、体の姿勢の改善にも繋がるインナーマッスルの使い方ですね。
体のことを考えるようになったのはこの時からです。
今は一旦そちらは終えて、デザインをやっているところです。
役者は満足して終えられたんですか?
やりがいもあって続けたかったのですが、デザインの仕事もやるようになってどちらも中途半端になって迷惑をかけてしまうと思ったんです。
今はデザインの仕事をメインでやることに決めたのですが、演劇のレッスンのおかげで体が動くようになって絵を描けるようになったので、本当に感謝しています。
体の使い方をうまく使えるようになったことで、絵が描けるようになったんですか?
そうですね。
体が硬くなると心も硬くなって頭で描こうと思っても描けない。
でも中心から体を動かすと今を生きるので、結構直感が働きやすくなるんです。
絵って直感だったりするので、体を動かすことが大事なんですよ。
面白い。ご自身の心と体に向き合われているんですね。
はい。
自分を掘り下げた時の話に戻るんですけど…。
コロナで色々家の片付けから始まって、自分の人生を考えた時に、やっぱり自分が硬いせいか昔の長野県でのびのびと遊んでいた頃の自分を思い出すのが、涙が出るくらいしんどかったんです。
でも自然があって、すごい走り回っていたり、山を2つくらい越えて学校に通っていたこととか。
木に雷が落ちる瞬間を見たり、夏にプールから帰ってきてトマトを丸かじりしたこととか…。
色々思い出したんですね。
そうですね。色々な本を読み漁ったり、色々と意見をいただいたりして掘り下げて思い出しました。
今はその思い出がある方が、自分が辛くなった時に思い出してほっこりするので、昔の自分を知ることは大切なことだなって思います。
大人向けの絵本を作りたい
お仕事内容に絵本とあるのですが、絵本作家のお仕事もされているんですか?
私は自分の気持ちを表現する絵本作家にはなりたくなくて、人の話を聞くのが好きなので、その方の人生だったり思いを表現する、大人向けの絵本を作りたいと思っています。
人生や思いを表現する絵本ですか?
はい。
例えば、ある男性の「会社が倒産して家族がちりぢりになって、こうなって、こうなって…。こうなってだから今これをしているんだよ。」っていう話を言葉で伝えるだけだともったいないと思っていて。
それをストーリーにしたらすごく入ってきやすいので、私にできることで絵本にできないかなって思ったんです。
その方のお話を絵本にするっていうのはストーリーとしてかなりリアルな感じの絵本なのか、メルヘンな要素も入れた絵本なのかどちらですか?
後者のメルヘンな感じですね。
言葉で説明するのが難しいので持ってきました。
ありがとうございます!
こちらは私が実際に習っていたバレエスタジオの絵本で、「自分のつくる絵本はこういうものです。」っていうのを説明するために自由に描かせてもらった絵本第一号です。
まだ集客の要素は入っていないですが、お子さんのバレエの体験の間に、お母さんが読んでくれたりしたらいいなって、それを想像して描きました。
補足:絵本の中身を拝見してこのくじらの絵、すごく可愛いです。
ありがとうございます。
ページの都合上この大きさなんですけど、原画はもっと大きいんです。
このくじらの身体に描いてあるおもちゃは、バレエスクールの先生が子どもの時に流行っていたものを調べて入れ込んでいるんですよ。
本当だ!
見覚えのあるおもちゃばかりで見ていて楽しいです。
一つ一つとても丁寧に描かれていて、一冊作るのに時間すごくかかりそうなのですが…。
お話を聞くところからですよね?
そうですね。
ヒアリングは必ずさせていただきたいとは思っています。
その方の子どもの時から話を聞くのですが、それは“忘れている昔の自分を大切にしてほしい”っていう思いからなんです。
小さい時に影響を受けたものだったり、好きだったものって今も好きだったりするので。それを大切にしてほしくて、その方のストーリーを絵本でデザインするっていう感覚ですね。
でもなかなか、なぜ話さないといけないのかっていうことがお客様には繋がっていなくて。
「なんで聞くの?」となってしまうので、そこのヒアリングは勉強中です。
あとこういう1枚ものの絵で、その方のストーリーを表現する絵も描いています。
こちらもストーリーになっているんですね。
はい。左の絵は私に体のこととかを教えてくれた歌手の方を描きました。
子どもの頃、ドライブ中に家族で大声で歌ったっていうエピソードが印象的だったのと、太陽のように明るいけれど、月のようなひっそりとした部分を感じたのでそれを表現しました。
“宇宙まで届くように歌うと壮大な歌声になる”ということや、“腰を入れる”っていうことの大切さを教えている方なので、腰から宇宙まで繋がるイメージで、この方の好きな星でアルデバランを描きました。
1枚の中に沢山のストーリーが詰め込まれているんですね。右の絵はどのような職業の方なんですか?
この絵は楽器を演奏したり赤ちゃんのために演技をする、海外でも活躍されている方を描きました。
こちらの絵は30分くらいで下絵を描いて、色塗りも1時間ほどで完成しましたね。
そんな短時間で描けるんですね。
はい、体が柔らかい時は何も考えずに描けるんです。
私はこの絵を描いた時、人から描き始めたんですけど、ここに何かおきたいなって思って、風船が頭に浮かんで、赤ちゃんはここかなって。
ぽんぽんと頭に出てくるイメージを、そのまま書いていく感じでした。
将来は親子でできる絵画教室をしたい
体を柔らかくすることって大事なんですね。
はい。
映像に行ってから絵を描けなくなって10年間迷走していたんですけど、結果的にその時に体の大切さに気づくことができたし、自分を掘り下げることで新しい技術を覚えることに躍起になるのではなくて、私は私で自分のできることで、ものづくりをしようと思えたんです。
その経験をいかして、将来的には親子でできる絵画教室をしたいなと思っています。
親子でできる絵画教室ですか?
はい。子どもたちが自由に物事をとらえられるように、絵画を描かない絵画教室をしたいなと思っていて。
前々から若いのに夢がないっていう若者を応援したいなとは思っていたんですけど、最近子どもたちに抽象画のワークショップをした時に、「自由に何も考えないで描いてね。」って言っても、すごく考え込む子が結構多かったんです。
あと色鉛筆もいっぱい持って行ったんですけど、「好きな色を使ってね。」と言っても、さぁ描こうっていう時に、どれにしようかなと考え始めたり…。
それが私には衝撃的で、小さい子だったら何も考えず絵をさくさく描くのかなって思ったら、違うので。
そうなんですか。子どもって何歳ぐらいの子なんですか?
小学生くらいですね。
親の許可を得たりとか「これでいい?」と、これが正しいのか間違っているのかを意識している子が多かったので、もうお子さんの時から変えたいなって最近思ってきました。
私も10年間絵を描けなかったのは、頭で考えていたからなので。
大人が絵を描けなくなるのは、例えば猿を描いてって言われて描いた時に猿に見えないと猿じゃないと頭で考えてしまうんですよね。
別に正解も不正解もないのに、自分で不正解って思うから描かなくなる。
ただの線の塊なのに。
そういう決めつけを外して、自由に描けるように。
人と比べたり、そういうのを考えなくても描けるようになるために…。
体を柔らかくしてストレッチをしたり、周りの街を散策したりとか、ざらざらした質感を実際に触ってインプットしてからアウトプットしたりとか、自分の思ったことを言葉にするとか…。
そういう教室にしたいですね。
親子でできる絵画教室というのは、大人に向けても何かのメッセージを伝える目的があるのでしょうか?
親御さんの体の使い方を子どもは真似するんです。
親御さんの体の癖と、お子さんは親御さんをよく見ているので、体の癖は一緒になっていくんです。
ですので、体の姿勢も絵に対する姿勢も大人が重要なんです。
私も、母と体型が似ています。改善というよりは楽な方になればいいなという思いです。
体を動かせば気持ちも楽になるし、明るくなるし、毎日ご機嫌にもなる。
なるほど。ちなみに体の歪みがある場合、改善するメソッド的なものはあるんですか?
メソッド的なものは、偶然、歌手の方にお会いして教わりました。
イメージで自分の体を見るっていう感じ。
イメージを使うことは、体のことを教えてくれた演劇の先生、歌手や、バレエの先生も共通して言っていたことで、「こういう柔らかいイメージ。」とか、「こういう動かし方のイメージ。」とか、“イメージ”という言葉をすごく使われているなと思って。
イメージで体は何とでもなると考えています。
あとは体って15分くらい同じ姿勢だと固まるらしいんです。
デザイナーも体動かすのは、必須だと思ってます。
だから赤ちゃんってすごく柔らかくずっと動いてるのはこらないように動いているのかなって。
体のことを話すと長くなってしまうんですけど
とても興味深いです。10年間迷走されていると仰っていましたが、その間に学んだことが今やりたいことに繋がっているんですね。
そうですね。
今はお仕事的にはWebのLPデザインが多くなっているので、絵の方は開拓中なんですけど、どんどん開拓して絵本制作と1枚ものの絵の制作をメインにしていきたいです。
中村さんの今後の活躍が楽しみです。
本日はお話ありがとうございました!
この記事は2022年3日31日に行った取材を基に作成した記事となります。
内容を保証するものではありませんので、お仕事をご依頼される際は直接お問い合わせいただくようお願いいたします。
中村 唯
フリーランス[ 絵を描くデザイナー ]
幼少期は三重県、香川県、愛媛県、長野県など各地を転々としたのち、小学校一年生から大阪在住になりました。
長野県では、山を2つ越えて学校に行き、4人で森に秘密基地を作って土の階段を作ったり蟻地獄に蟻を入れてました。大きな蛇にも遭遇。
京都精華大学映像コース卒業。映像編集者ののち、デザイナーに転身。広告代理店勤務を経てフリーに転身。
主な仕事は、販売促進用イラスト、絵本、似顔絵、LP デザイン、バナー、動画制作など。
「話せば長くなる」なぜそれをしているのか、あなたが大切にしていることを絵とストーリーを創って一瞬で伝えます。バレエなど、カラダ動かすのが好きです。